風洪&白圭が繰り広げるスペクタクルロマン/「孟嘗君」宮城谷正光


孟嘗君(5) (講談社文庫)

孟嘗君(5) (講談社文庫)


三国志すら読んだことがない自分ですが、知り合いにすすめられて宮城谷センセイの「孟嘗君」を読んでみました。文庫で全5巻はなかなかの分量です。読書家なわけではないので、結構時間がかかりました。いや、最後の2冊がかかったというのが本当は正しい。


なぜかというと、4〜5巻はかなりつまんないんです。とくに5巻はペースが落ちました。逆に言うと、1〜3巻は猛烈な勢いで読破。ここでの主人公はタイトルロールの孟嘗君(田文)ではなくて、明らかに父の風洪、のちの白圭です。その活躍ぶりは、まさに筆が踊るがごとし。宮城谷センセイもあとがきにこんなことを書いています。

主役のかたわらにいる人物に大いに惹かれるという心の癖はむかしからあり、ここでもそれがでたので、一年から一年半でおわる予定が狂い、二年半も書きつづけてしまった。白圭の魅力に抗しきれなかったあかしである。


そうなんですか、昔からのクセだったんですか。とても納得いたしました。


白圭が一線を退いてからはようやく田文が主役になりましたが、センセイの筆はすっかりおとなしくなりました。こちらもちんたら読んでましたが、それでもときどきセンセイが主人公に語らせるフレーズに心惹かれるものあり。とくに気になったやつを書き留めておきます。

人のいのちは、すでにあるものを守ってゆくというようなものではない。日々つくってゆくものだ。今日つくったいのちも明日にはこわれる。それゆえ、いのちは日々産みだすものであろう。


ふむふむ。人間というのは、日々生まれ変わる生きものなのですね。大賛成。


宮城谷センセイの作品は、なんというか男のロマンとでもいいますか、登場人物の描かれ方が男のナルシシズムを刺激するとでもいいますか、きっと女性向きではないと思います。だからなんとなく宮城谷「センセイ」と呼んでしまいたくなるのです。この感覚、伝わるかな。