全身小説家

2ヶ月まえに見始めた全身小説家をようやく見終わった。ドキュメンタリー映画というのはなかなか見る機会がないが、これは本当によくできた作品である。


前半は井上光晴という作家と、そのまわりの人々との交流を中心に綴られる。井上の映像の合間に人々のインタビューが挟まれ、どんな女性も年齢や容姿で差別せずに口説く井上の姿があぶりだされる。また、女性たちはみな井上に恋していたのだ。いや、恋という生やさしいものではない。その強い想いは、まさに「愛」そのものだったのだ。


ところが、後半はがらりと風向きが変わる。それまで井上が語ってきた親や祖父の経歴や、少年時代のエピソードなどが、実は嘘で塗り固められていたことが関係者の証言で明らかになっていく。ときに再現シーンをまじえているのは、非常によかった。なぜならば、それは井上の空想が作り上げた物語であり、再現シーンにすることでより嘘であることが強調されるからだ。ドキュメンタリーに再現シーンが挿入されるというのは見たことがないが、これは原監督の英断であったろう。


10年まえに見たときと今回見たときに味わった印象で、大きく違ったものがある。実は、それは内容についてではない。当時は井上より10歳くらい若いと思っていた奥さんが、同い年くらいだったことなのだ。なぜ、若いと思っていたのか。とても不思議である。当時は女性の容姿を気にしない、純粋な青年だったのかもしれない(笑)。


「自由にうそがつけるような仕事を選んだわけだからね。これは本当に、井上としては最高の道を選んだと言えるんですよ」


全身小説家埴谷雄高による、見事なネーミングである。