舞台との違いを楽しむ/「笑の大学」
今日から公開され始めた、映画「笑の大学」を見てきた。三谷君の舞台作品が映画になったのは、「12人の優しい日本人」「ラヂオの時間」に続いてこれで3本目だろうか。公開初日ということでかなり混雑しているのかと思ったが、冷たい雨のせいかそれほどでもなかった。それでも、開演前には満席になっていたが。
「笑の大学」については以前日記にも書いたが、数年前にNHKで放送されていたのを幸運にも録画していたので、つい最近見直したばかりだ。なので、筋は頭に全部入っている。とはいえ、ある程度映画向けのアレンジはあるだろうと思っていた。
同じだった。ほとんど同じだった。舞台の台詞がまんま映画の脚本になっていた。こうなると、はっきりいって先を楽しむことはできない。微妙に違うのは、舞台は二人芝居だったのに対し、映画はそうではないところだ。取調室の外で待機している警備(?)のおじいさんはまったくの新キャラで、ところどころで現れてとてもいい味を出していた。
話が読めるとなれば、何か別の楽しみを見つけなければつまらない。そこでふと思いつく。映画の観客のみんなはどこで笑うのか。舞台のそれとは違うのか。ここに注目しながら映画を見ることにした。なにせ舞台でのストーリーが頭に入っている強み、どこが笑いのポイントかも知っているのだから。
大きな笑いのポイントは変わらない。だけど、細かいところで違うところがあった。舞台では笑えるのに、映画では笑えない箇所がいくつかあったのだ。特に、向坂の台詞でそれが顕著だった。なんでだろう。映画を見ながらちょっと考えてみた。そこで気付く。舞台と映画の違いではなく、役者の違いなのだ。舞台の西村雅彦が上手で、映画の役所広司が下手ということではもちろんない。西村雅彦が言うと笑えるのだが、役所広司では笑えない台詞があるのだ。やはり、この向坂の役は西村にアテ書きされたものなのだろう。
そして、物語は終盤になると劇的な展開をみせる。ここは泣き所。でもこの前ビデオを見て泣いたばかりだ。さすがに今回は冷静に見れるだろう・・・と思ったけどダメだった。また泣いた。しかも同じところだ。劇作家の椿が検閲係の向坂に対して「やってみなきゃ分からないだろう!」と啖呵を切るところと、向坂が椿に対して「帰ってこい」と伝えるところ。笑いのポイントは変わるのに、泣くポイントは変わらなかった。まわりを見渡すと、ところどころで涙をぬぐっている人がいた。なんだか嬉しい気持ちになった。やっぱり三谷君のホンは、大好きだ。
そういえば、舞台はとてつもない下ネタでエンディングを迎えるのだが、映画ではさすがにそれはなかった。その代わり、印象的な長い廊下のシーンになっていた。スタッフロールが、その当時の喜劇のポスターのようになっていたのも、なんだか良かった。映画が終わるまで立ち上がろうという気が湧かなかった。まわりの人も同じだったようで、みんなが動きだしたのは場内が明るくなってからだった。
ヒットするといいな。
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