感性の変遷

学生時代ピアノのサークルにいた。その頃は、人の演奏を聞いて「うまいなあ」とは思っても、それ以上の何かを感じることはなかった。自分のアンテナの感度が、まだまだ悪かったのだと思う。


昨日、サークル同期のダンナさんのピアノコンサートに行ってきた。クラシックコンサートに行くこと自体、相当久しぶりである。開演時間は7時からだったが、会社を出たのが6時50分。面倒なのでタクシーに飛び乗り、うとうとしているうちに20分遅れくらいで会場に着いた。


もちろん演奏は既に始まっていて、自分と同じく遅れてきたお客さんが7〜8人くらい、扉で曲の終わるのを待っている。パンフレットによると、第1部はショパンが3曲、第2部はリストが2曲。時間的には、まだ第1部の途中のはず。曲が終わったらその間隙をぬって会場内に入れる・・・はずだった。


曲が終わって係の人が扉を開け数人のお客さんが入ったとき、係の人の顔色が変わった。よく聞くと、ピアノの音は鳴り止んでいなかった。慌てて扉が閉められる。怪訝そうな顔をするお客さんたち。


「演奏者の都合で次の曲が始まってしまいましたので、申し訳ありませんが休憩まで入場ができなくなりました」


しょうがないので、ロビーへ回る。中の演奏風景が画面にて映し出されている。食い入るように見つめている女性がいた。よく見ると、彼女こそ同期の子。傍らには無邪気にハイハイする赤ん坊。父親(本日のピアニスト)はフィンランド人なので、赤ん坊も当然ハーフ顔。声をかけようかと思ったが、他の知り合いが声をかけたり、ご両親もそばにいたりで、会釈するにとどめた。ほどなくして、ショパンソナタ第二番、葬送行進曲からカデンツが終わって、会場拍手。


休憩時間。真っ先に扉から飛び出してきたのは、白髪まじりのよく見知った顔。実はうちの母親である。今回のコンサートを知らせたら、喜んで見に来た。夫婦揃って夜に都心に出てくるなど、滅多にないことなのので、こういう機会を与えてくれた同期には感謝。


ようやく会場内に入る。思ったよりも広い。キャパは分からないが、200〜300人といったところ。知り合いがいるかどうか見渡すと、舞台に向かって左手から真ん中は盛況。ところが、右手の座席がやたらと空席が目立つ。このときはなぜそうなっているのか分からなかったが、あとで演奏が始まったときに理由判明。舞台に向かって左側に鍵盤が来るようにピアノが置かれるので、右手の客席だと演奏している様子がよく見えないのだ。なんだか、妙に感心してしまった。


通路でぼーっと立ち尽くしていると、ポンと肩を叩かれた。振り返ると、懐かしいサークルの先輩がニコニコしていた。サークルにいる頃は特に仲が良かった記憶はないが、卒業してからはたまに飲みに行ったりする。といっても、頻繁に連絡を取るわけではない。今回も顔を合わせるのは、3年ぶりくらいだろう。隣の席が空いていたので、そこに座ることにした。


休憩終了。そして、ピアニスト登場。後半はリストだ。超絶技巧という作品群があることからも分かる通り、この作曲家の作品を演奏するには、高度な技術がしばしば要求される。彼の技量はいかがなものか。


ピアニスト、登場するやいなや着席とともに一気に演奏開始。慌てて観客の空気が静まる。


彼の演奏ポーズはダイナミックだ。強い音を出すときは、まるで宙から指を振り下ろすように鍵盤を叩く。その様子は、「俺の演奏を聞きやがれ!」と言わんがばかり。隣にいた先輩は「体育会系だね」と感想を述べていた。確かに技術は素晴らしかった。よくこれだけ指が動くものだ、と感心した。しかし・・・。


正直、聴いていて曲に入り込めなかった。まったく取り付く島がないのである。なんというか、ついて来れる人だけついて来い、と音が訴えているようだ。そして、それは彼の人間性そのものなのではないだろうか。


ところが曲調が変わり、勇猛果敢な雰囲気から一転してポーズが落ち着き、小さな音を奏で始めた。これがことのほか良かった。とても優しい音なのだ。先ほどの体育会系はどこへやら、である。なんだ、こういう側面ももっているんじゃないか。何だか安心した。


嫁さんである同期の子は、学生時代は大人しい子だった。あまり口数は多くないけれど、芯はしっかりしていた。カラオケでは、薬師丸ひろ子のマネがうまかった。それから、学生時代に初めて吉野屋の牛丼を食べて、「ほんとに早くて安くておいしいです!」とサークルの会報に書いていた。大学を卒業してドイツにピアノ留学するとき、自分としては贈ることばを手紙で書いたつもりなのだがその返事は来ず、数年後の飲み会でそこに書かれてたことばに対して「何くそ」と思っていたことを告白されたこともある。


そんな子が選んだダンナは、どんな人なのだろうか。この演奏を聴いて、おぼろげではあるが掴めたような気がする。そして、昔はピアノの演奏からそんなことを感じることはなかったことに気付く。自分の感性が昔より研ぎ澄まされたのか。あるいは、多くの人と出会って、想像力が豊かになったのか。


ダンナさんは、今回の観客がお気に召したのか、アンコールを求められると何度も舞台に現れた。3曲ほどやったのだろうか。このまま第3部をやってしまいそうな勢いだった。


ロビーに出ると、CDを売っていた。モーツァルトのコンチェルトだったかで、彼がピアノでサポートしているらしい。モーツァルトはイメージと違うなと思いながら、その隣に列ができていることに気付く。どうやら、CDを買うとサインがもらえるらしい。そんな人いるのかと思ったら、既に3〜4人の列ができていた。そして、その最前列にいたのは・・・、うちの母親だった。かなり気に入ったらしい。まあ、ピアニスト本人は知らないにしても、その嫁さんは昔から知っていたりするので、親近感が沸いたというのもあるだろう。


そのまま先輩と外に出て、食事をした。お互いに感じたことを言い合って、だいたい一致していたのが面白かった。タイムスリップで過去に戻ったような、あるいは未来に進んだような、過去と未来を足して2で割ったのが「今」みたいな、ちょっと不思議な夜。