ある女性日本画家の生きざま/「命の軌跡―堀文子画文集」


命の軌跡―堀文子画文集

命の軌跡―堀文子画文集


わたしは女性の日本画家というのを寡聞にして知らない。実際に少ないのか、自分が知らないだけなのかはわからないけど、とにかく知らない。


そんなとき、友達が堀文子さんの名前を教えてくれた。


絵はそんなにわからないけど、きれいな風景画だな、と感じた。


でも、彼女の近年の作品では、微生物を書いたりしている。微生物を取り上げる画家なんて、カンディンスキーくらいしか知らないけど、ふつうそれは絵の対象になるのか?


そんないきさつがあって、彼女の画集を見てみようと思って、この本を手に取ったのです。そこに添えられていたエッセイをあわせ読んで、彼女がなぜそのようなものを書くようになったかがわかりました。


さらに、彼女が絵を志した理由も。


彼女は高齢にもかかわらず、世界を旅していた。その旺盛なエネルギーの源はなんなのか。エッセイを読んでみて、その源泉が垣間見えたような気がした。


この本のなかから、自分なりに彼女という人間がわかる部分を抜粋してみました。もちろん彼女は画家なのだから、本来は絵について触れるべきなんだけど、自分の場合はそれ以上に彼女の生き方に興味があるので。

画家への道

私は小さい頃から自然に強い興味を持っていて、自然界の営みの神秘、不可思議さを突き止めたいという欲求から、科学者になりたいと夢見ていた。ただ当時は、女が大学に入って男子と同等に勉学にいそしむという状況から程遠く、男女差の壁が私の前に大きく立ちはだかっていた。どうして女にはこのようなハンデがあるのだろう、こんな差別は許せないと思い、絶対に差別されない生き方とはなんだろうと考えに考えた末、美の世界である絵にたどり着いた。

アレッツォの色

70歳の時、イタリア行きを決めた。1987年といえば日本はバブル期で、経済大国などといってはしゃいでいた。私はそんな日本で生きることが嫌になり、かつてヨーロッパを歩いた時に知った、静かで重々しい雰囲気の田舎が忘れられず、あんな田園で暮らしたいと考えた。早速ヨーロッパにいる友人に相談し、見つかったのがアレッツォだった。

ペルーへの旅

大航海時代に黄金を求めたスペインの征服者にあっけなく滅ぼされたインカ帝国の無念が、私の細胞を騒がせていた。1998年、その遺跡を一目見たいとペルーに旅立った。クスコの町を守る砦の、目のくらむような巨石の石積みのスケールに圧倒された。

自分のこと

何事も自分で見極めずにはいられない生来のしぶとい自我によって、生涯の終わりまで我が手で自分の始末をつけなければならない責任を背負い込む破目になった。こんな自分が、躾の厳しい親に仕えたことも重なり、自己抑制が強く働き、正反対の価値を同時に抱え込むことになり、私の思考は常に分裂する結果となった。

極微の世界

神は生き物の体内に完璧な生命装置を埋め込んでくださっている。
2001年の春に大病をして私の中から何かが抜け落ち、意識の軸が変わった。人間とは生と死が力の均衡を保ちながら共存している生き物であり、この二つの力の勝敗は、人の無知や不用意にかかわりなく、神の意思で決められる。その瞬間から不思議なことに、私はもう遠いことではなくなった死に対しての恐れを感じなくなり、身内のようにいたわり合える間柄になったようだ。

後書きにかえて〜この目で見たい

本で読んだこと、人に教えられたことをそのまま憶えられず、私はどうしても自分の目で見、触り、我が足で歩き、体で体験しないと「解る」という実感が身につかない厄介な人間である。こんな効率の悪い手続きを済まさないと物事が解らないという子供の時からの癖のせいで、私は物知りになれなかった。しかしそれを恥じてもいない。洪水のように増え続ける新情報、新技術には上の空なのだ。私に必要なのは、ますます深まる生命の不思議を見つめる感性を研ぎ、日々の衰えを食い止めることなのだ。残り少なくなった私の日々は驚くこと、感動すること、只それだけが必要で、知識はいらない。


明日6月20日に「徹子の部屋」に出演されるそうです。とても楽しみ。