志を継ぐのは難しい?/「洋食や」茂出木心護


炎天下の真夏だというのに、立ち食いラーメンを食べてきました。味噌ラーメン800円。カウンターの向こうには、ダシを取るための円柱形鍋が2つ、ダン!ダン!って感じで置かれてまして、なかは鶏ガラやら何やらいっぱい詰め込まれて、グツグツ煮立ってました。そして、その向こうにはたくさんのせわしなく働くコックさんたちの姿。


なんでこんな天気なのにラーメンなんぞを食べに来たかというと、この本を読んだからなのです。


洋食や (中公文庫BIBLIO)

洋食や (中公文庫BIBLIO)


文庫で1〜2ページの小ネタが、これでもかというほど詰まっています。最初は読みやすそうだからすぐ終わっちゃうな、なんてタカをくくっていたけど、さにあらず。読めども読めども、次から次へとあふれ出てくる洋食ネタ。よくこれだけ書くことがあるものだなあ、と妙なところで感心。半分くらいまで読み進めて来たところで、洋食以外のネタも登場し始めましたが、それでも何らかの形で料理と関係している話ばかり。


筆者は日本橋の洋食の老舗「たいめいけん」の初代ご主人。下町育ちだからでしょうか、文章は丁寧で小気味よいです。筆者のサービス精神旺盛なゆえか、話の終わりには言葉オチをつけねば気が済まないらしいです。全ネタとまではいかないけれど、かなりの頻度で気の利いたオチが出現してました。


文中では、「ホーク」「アイスクリン」「マヨネィーズ」といった、いまでは見かけないような表記がたびたび現れます。それぞれ「フォーク」「アイスクリーム」「マヨネーズ」なわけですが、これはやはり古い時代の表現なのでしょう。この文庫本の初版は1980年。筆者は1978年に亡くなられていますので、もうすぐ30年近くになります。


たいめいけん」には2〜3回オムレツを食べに来たことがあって、おいしいなと思う反面、店員さんの態度がなんともつっけんどんで、老舗っていうのはこういうもんなのかな、と思った。そのときにお店の右脇に併設されたスタンド形式のラーメン屋があることを知ったのですが、洋食屋とラーメンというあまりにもギャップのある取り合わせに、さすがに試してみようとは思いませんでした。でもこの本のなかでラーメンをはじめるくだりがあって、それで食べてみたい、と思ったのです。

なん年も前からやりたくってしようのないラーメンやを、調理場の一部を改造してスタンドを作りはじめました。女房は賛成ではなく、洋食やが「そば」を売るなんてみっともない、と言います。私は「飲食店というものは、なにを売ってもよいのだ。それが美味しく安ければ」とやりあいます。

ほんとうのことをいいますと、私はラーメンが好きで三日食べなきゃ変になるほどです。それで、どこかに美味しいところがないかと探すくらいなら、自分ではじめようとやった仕事でした。

カウンターを開店して一年、お客様も日増しにふえ、洋風のラーメンはおもしろい、たいめいけんのラーメンなら美味しいだろう、と評判も立ち、「今日も私が一番だろう。この時間になると、くせがついて、足が自然に向いてくる」とくちあけに必ずこられるお客様もあります。豚と鳥がらでだしをとり、じゃがいもを入れるところがみそで、一日分売ってしまったら閉店にします。

〜「ラーメン」より〜


期待して食べてみたラーメンの味はどうだったかといえば、まあふつうでした。あっさりしていて、特筆することもありません。どんぶりがふつうのより一回り大きいのがちょっとおや?と思うくらいです。道路をわたった反対側に別のラーメン屋があるんですが、そっちは行列してます。まあ、ラーメンだけ食べに来るなら、あっちの方が美味しいでしょうね。


カウンターから見えるコックさんたち。動き回ってはいますが、なんだか覇気がありません。どうも楽しそうじゃないんです。なんなんでしょうね。オムライスを頼んだときの店員さんのツッケンドンさを彷彿とさせてました。


隣の女性客がコールスローサラダを注文していました。いまメニューを見てみると、あれは50円だったのか。ボルシチが50円なのは知っていたんですが、コールスローもそうだったとは。それだったら、食べておけばよかったな。


日本橋のお店から、昔店舗があったという新川1丁目まで歩いてみました。昭和初期には花柳街だったという新川は、いまはバリバリのビジネス街で、その名残はほとんど感じることができません。

昨夜の疲れの残っているような花街と、六時ごろには竹ぼうきの目が立ち、打ち水してある酒問屋の店の前が、不思議に調和しておりました。
舟で運ばれた酒樽を大きなトラックに積んだり、ベルトコンベアで倉庫に入れたりする音にまじってきこえる、舟と河岸の間にかけられたあいび(細長い板)を踏む情緒あるきしみも、今は昔話になり、私の青春にひびいた音をただただなつかしむばかりでございます。

〜「あいび」より


このような文章の書ける筆者が始めた洋食や、その志がいまも受け継がれているのかと思って期待してお店にいくと「おや?」ということになります。いまは三代目が店主をやっているようですが、いつか昔の雰囲気を取り戻してほしいものです。