アル中と愛を赤裸々に綴る/「酔いがさめたら、うちに帰ろう」鴨志田穣


白シャツに赤ら顔の装丁。爪楊枝をくわえたシャイでクールな鴨ちゃんの似顔絵だ。じわじわとインパクトのあるこの絵は、いったい誰が書いたんだろう。サイバラの絵じゃないしなー、と思ってページをめくってみたら、なんとリリー・フランキーだった。渋い。


酔いがさめたら、うちに帰ろう。

酔いがさめたら、うちに帰ろう。


この本の最後には、テレビではよく見かけるあのフレーズが書いてあった。

この物語はフィクションです。

でも、読者は勝手に想像してしまう。鴨ちゃんの元妻といえば、西原理恵子さんである。この小説のなかでも「元妻」がたびたび登場するが、読者は頭のなかで勝手に「サイバラ」に変換した映像を思い浮かべているはず。少なくとも自分はそうだった。


話は、アルコール中毒患者の主人公が、酒を飲んでいるところから始まる。起きぬけのだるさをごまかすために、まず飲む。そのまま、食事もまともに食わずに飲む。内臓が壊れているので排泄に支障をきたしても「まあ、なんとかなるさ」の精神で飲む。朝から晩まで気絶するまで飲みつづける。それも毎日。あまりに激烈で、痛々しすぎる描写。なぜそこまでして飲まねばならんのだ。


主人公は食道静脈瘤破裂で10回の吐血を経験している。病院に運び込まれると、医者によく生きていられますね、と驚かれる。次飲んだら死にますよ、といつも言われる。それでも飲みつづける。というより、つい飲んでしまう。


そんな息子と同居しているお母さんが心配する姿が、これまた痛々しいことこのうえない。心配の仕方が自分の母親と同じで、自分はアル中じゃないけれど、つい感情移入してしまう。血を吐いてトイレで倒れている息子を発見すると、悲鳴をあげつつも、電話で救急車を呼び、テキパキと入院の用意をする。母は偉大だ。


これまで自分はアル中に対して、偏見があったかもしれない。酒ぐらい我慢できない人間って、とても弱い人間なんだなあ、と。でも、これは病気なんだ。本当に病気なんだ。それを強く思った。


鴨ちゃんが描き出す登場人物は、変わった人が多いのだけど、温かみのある視線で綴られている感じがする。精神病棟とアルコール病棟の患者の描写は生き生きとしていて、前者は女性が多く、後者は男ばかり。病院食のカレーを食べさせてもらえなくて、不貞腐れる主人公なんてのもかわいいじゃないですか。


カウンセリングを担当する女医の衣田女史が印象に残った。1度会ってみたいな。読み続けながら、カウンセリングの時間をつい待ち焦がれてしまった。その点は、主人公と同化していたかも。


退院が近くなるとアル中患者が体験発表という名の、自分史を語る場があるのだそうだ。夜中に目が覚めて眠れなくなった主人公に対して、同じ患者で退院間近の「鼻血さん」が翌日に控えた体験発表のためリハーサルをするシーン。そこで語られる彼の人生は、ドラマよりもドラマチックな話だった。


そして、そのすぐあとに主人公にも衝撃的な事実が明らかになる。


癌の告知。もって一年だという。


いままでだって、静脈瘤破裂で生死をさまよってきているはず。それでも死ぬ気で酒を飲んでいたじゃないか。癌を告知されたって、酒が違う病気に変わっただけじゃないか。


・・・でも、そうじゃないんだ。なんとなくだけど。


あとがきに、

最後になりましたが、我が先生、
バカ丁稚は立派なアル中になりました。
ありがとうございました。

とあるが、これは師事した戦場カメラマンの橋田信介さん(*1)にあてた文章なのだろう。鴨ちゃん、いまごろアジアのどこかの川でたゆたっているに違いない。そして、橋田さんと酒を酌み交わしているのだろうか。いや、橋田さんは酒を飲まない人だったか。


小説の途中で主人公がアル中という病気について、こんなことをつぶやいている。「スリップ」というのは、禁酒した人が再び飲みだしてしまうことである。

この病気、はたしてその次元で治る病なのだろうか。何度も心とは裏腹にスリップをくり返し、そのたびにどんどん周囲の人々を裏切り、一番大切な家族まで、さんざん傷つけてきた自分の体験から考えても、愛がどこまで通ずるのか、半信半疑であるし、治していくための正解というのは、はたしてあるのだろうか。

鴨ちゃんのアル中は完治した。やはり愛だ。